2010年6月20日日曜日

ハワイのウチナーンチュたち 汗水節 (労働歌~work song)

ハワイにはウチナーンチュがたくさんいます。

6月11日~16日にかけて、県内のあちこちに二世や三世(中には五世も)を案内する機会があったので、そのことを少し書いてみたいと思います。英語表現という趣旨からはズレているところがありますが、ご容赦ください。

初日は首里城。週末をまたいで月曜日には海洋博記念公園(美ら海水族館)、火曜日は南部ツアーへと行きました。

ハワイのウチナーンチュは日本語がOKな人たちが3割ほど。ガイドそのものは英語で行われまた。

私も沖縄人なので、最初から打ち解けた雰囲気で、いっしょに楽しむことができました。私には親戚がハワイにいます。また北と南のアメリカ大陸にもそれぞれいるので、今回のツアーのお客様はとても外国人という感じがしないんですね。なんといってもお互い沖縄人らしい体つき・顔つき(ご想像におまかせします)をしているので、家族旅行ほどではないにせよ、それに近い雰囲気の中での案内となりました。

特に記憶に残るのは、沖縄本島南部にある「汗水節」という沖縄民謡の歌碑を訪ねたときのことです。観光バス2台に合計90名以上の人たちが乗っていましたが、みんなで降りて、歌碑の前で汗水節を歌ったときのことが忘れられません。

御存知かもしれませんが、「汗水節」は沖縄ではよく知られた労働歌(work song)で、大正時代初期に旧具志頭村(現、八重瀬町)出身の仲本稔氏が作詞、宮良長包氏により作曲されできた歌です。私はこの曲を子供時代からシマの盆踊りの定番曲として聞いて育ってきたので、親しみがあります。

ハワイ・ウチナーンチュたちが自分たちで三線を奏で、全員で合唱する姿に本当に感動し、涙が出てきたほどです。沖縄にいる自分たち以上に沖縄の歌や文化を思い、多少の言葉の壁はあっても、できるだけ沖縄の祖先のことを学ぼうとする謙虚な姿が本当に印象的でした。

戦前・戦中そして戦後の大変な時代を生き抜いてきたウチナンチュのたくましさが、この汗水節に表れているように思います。民謡を聞いて泣いたことはそれまで一度もありませんでしたが、この時ばかりは沖縄の歴史や海外へ移民した人々の苦労、そのようなことを感じさせない明るさ・・・たくさんの人々の心情や情景が頭の中を次々とよぎり、感動が抑えられませんでした。


歌詞を以下に書いておきますね。
YouTubeにある汗水節も二つ載せるおいたので、見てみてください。


一、汗水ゆ流ち 働ちゅる人ぬ
   心嬉しさや 興所の知ゆみ
   すらーよーすら 働かな

二、一日に五十 百日に五貫
   守て損ねるな 昔言葉
   すらーよーすら 働かな

三、朝夕働らちょて 積ん立てる銭や
   若松の盛い 年と共に
   すらーよーすら 働かな

四、心若々と朝夕働きば
   五六十になても 二十歳さらみ
   すらーよーすら 働かな

五、老いゆる年忘て 育てたるなるしぐわ
   手墨学問も 汎く知らし
   すらーよーすら 働かな

六、御萬衆の為も 我が為ゆと思て
   百勇みいさで 尽しみしょり
   すらーよーすら 働かな


ドイツの大哲学者・マックス・ヴェーバーがこの歌のことを知っていたら、どのように聞いたであろうかと想像します。勤労と倹約の精神であり、仲本稔氏は沖縄の二宮金次郎といった存在だと思っています。

また、琉歌のルールである三八六(さん・ぱち・ろく)のリズムにものっていて、名曲ですね。



(大工哲弘氏が歌う「汗水節」の動画です。)
http://www.youtube.com/watch?v=sp5jYKA3-vE

(coi-naという若手三人組みによる現代風にアレンジされた「汗水節」です。)
http://www.youtube.com/watch?v=FZGK_ET-JgY&feature=related